私はあなたの瞳の林檎 収録 『僕が乗るべき遠くの列車』 著:舞城王太郎 感想

※ネタバレ含む

あらすじ

語り部は中学1年生の男の子「倉本祐介」
彼は15歳になるまでに死んでしまうと心のどこかで確信している。そのことに対して不安などはなく、逆に人はいつか死んでしまうのだからいつ死んでもかまわない。といった考えを持っている。

そんなひねくれている様な、けれど否定できない考えを持った彼の他には中学になってから友達になった「菊池鴨」と「鵜飼夏央」が主な登場人物。

その3人の『恋愛』を知らないからこその歪つな関係性が綴られた作品。


当時12歳の倉本祐介は菊池鴨と菊池真央と知り合う。

菊池鴨はひねくれた倉本の考えに対して真っ向から否定し、
「全てが等しく、あってもなくてもいいもの」という倉本の考えに対し
「これしかない!と思えないことがどれだけもったいないか」と否定する。

鵜飼夏央の倉本に対する最初の印象は「もっとまともかと思ってた」
それはいつも見る夢の中に倉本が現れ、普段は恐怖のまま起きてしまうがそれ以降
恐怖を感じなくなった為で、それをきっかけに倉本に急接近してくる。
それに加え倉本の考え方に対しても共感をし「私のために誰かが用意してくれたみたい」と。
そういった鵜飼の理解ある態度に倉本は
ー僕は嬉しかったのだ。誰かにこうして見つけてもらえたことが。


ここから彼と彼女たちとの恋愛には程遠い、けれど愛おしい恋の話。

 


感想とか

1度読み終わり頭に浮かんだのは「alternative」だった。
alternative(オルダナティブ)とは二者択一や代替という意味。

まず倉本の「全てが等しく、あってもなくても同じ」という考え方が代替のそれだった。
それに菊池と鵜飼の二者択一をする(選んだとは言えないかもしれない)

他にも思い浮かべるには純分なほど作中には言葉が散りばめられていた。
だから、『恋×alternative』な話。

私は先の倉本の考えが2p(144p)に書かれていたので、最初からaltenativeを
題材にしているのかな?と思い読み進めていた。
倉本の死に対しての考えは自分という存在が代替的なもので変わりがあると思っているからだろう。

 

では倉本少年を取り巻く少女たちの話に進める。
先に鵜飼夏央の話。
彼女は倉本とは真逆の考えを持っていたんだと思う。だが真っ向から否定した菊池とも違う考え方だ。
「何物も価値がない」という倉本に対して
「全て意味があり、価値がある」という考えを持っている。それに加え”貰ったものは返す“という
考えも持っているようだった。
図書館で勉強したときにも

「どうしてもっとまともだと思ったの?」という質問に対しても
「チュウしてくれたら教える」と対価を求めるなど。
倉本の心の内側を覗きその考え方を肯定はするが、物事に意味を求めてしまうので夢で会ったことを運命だと、奇跡だと言いたかったんだと思う。

次に菊池鴨の話。
彼女は倉本祐介の特別。
説明なんていらない程どうしようもなく特別。それだけ。
それだけとは言いつつ補足を入れると、初めから倉本の本質を理解し変わってほしくて助言をするが変わらない彼に対して呆れつつ、表には出さないが好きで居続けた。


読んでて一番気になった箇所は、誤植なのかは分らないが1年の夏休みに菊池鴨と遊んだという記載と、一度も会わなかったという記載がある。
これに関して誤植ではないという観点で話を広げると、それぞれの記載の間にあるのは、倉本が電車の夢を見て鵜飼と会い最後に電車から落下して死ぬ。という場面がある。
この夢がこの物語で一番重要だと考える。
この死によって過去の倉本祐介は死んで新しい倉本祐介になった。
それの裏付けではないが15歳までに死ぬ。という考えがここから20歳前に至るまでない。
なんで疑問に思わなかったかというものも、それはもう彼がちゃんと一度死んだからだと考える。
そして誤植ではなく過去の倉本祐介は遊んだが新しい倉本祐介は一度も会ってないからこのような表現がされたのではないか。


他にも
☆倉本にとって鵜飼もaltenativeだったこと
ーいま僕の腕にムニムニとサーヴィスしてくれてるのはどこの誰なんだろう?
ー「困ったときに私のこと助けてくれる人、また作るし。できるし」できるだろう。どうとでもなるだろう。

☆『僕が乗るべきだった遠くの列車』とは
等行間を読んだら様々な考えが浮かぶと思う。

 

軽く検索をかけても余り感想がなかったので私なりの考えを投げた。